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2020.8.31

華麗すぎる名家ヒルトン家とは?世界のホテルを変えた秘密とは

(写真=nancy10/stock.adobe.com)
(写真=nancy10/stock.adobe.com)
ヒルトンと聞くと、最近は世界中のメディアを騒がせるセレブ姉妹をイメージする人が多いかもしれません。一方でヒルトン家といえば、高級ホテル「ヒルトン」を立ち上げ、成長させてきた家系でもあります。ここでは、約100年間で世界有数のホテルチェーンを実現させたヒルトン家のビジネス面にフォーカスします。
 
 

短期間でホテル業界のトップランクに登りつめたヒルトン

ヒルトンは、歴史を持つ高級ホテル「ヒルトンホテル」をはじめ、「コンラッド」「ウォルドーフ・アストリア・ホテル&リゾート」など、計18の名だたるホテルブランドを傘下におさめています(2020年7月末現在)。そのブランドのなかには、ハイクラスなカテゴリのホテルだけでなく、フレンドリーなサービスを展開する「ダブルツリー・バイ・ヒルトン」「ハンプトン」「トゥルー」などもあります。

カテゴリやコンセプトはそれぞれ違いますが、卓越した顧客体験(おもてなし)を届けることがヒルトンの共通理念です。2020年1月にヒルトンが発表したデータによると、同グループは119ヵ国に6,110軒のホテルを展開。そのトータル客室数は97万1,000室にも及びます。2019年だけでも約470軒のホテルがヒルトンブランドに追加され、成長し続けています。

ヒルトン自身の表現では、彼らは「世界で最も規模が大きく、最も速い成長を遂げているホスピタリティ企業の1つ」となります。その言葉は決して大げさではありません。驚くことに、これだけの規模のホテルグループにも関わらず、ヒルトンホテルは創業から約100年しか経っていません。それだけ彼らが驚異的なスピードで成長してきたということなのです。

そして、その大半の歴史をリードしてきたのがヒルトン家の中心人物、創業者のコンラッド・ヒルトンと二代目のバロン・ヒルトンです。彼らはどのように限られた期間で競争の激しいホテル業界を勝ち抜いてきたのでしょうか。

 

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ヒルトンの成長エンジンは、先進の技術やシステムの採用

ヒルトンは、最高の顧客体験、日本でいうところの“おもてなし”にこだわってきたホテルです。ただヒルトンのような高級カテゴリのホテルブランドでは、 競合他社でも“おもてなし”を重要テーマに掲げています。つまり、最高の顧客体験は前提でしかなく、これ自体は成長エンジンではありません。

では、ヒルトンが競争の激しいホテル業界を勝ち抜くことができたのはなぜでしょうか。理由の1つは、その時代の先進の技術やシステムをホテルサービスにいち早く取り入れてきたことでしょう。

創業者のコンラッド・ヒルトンは、顧客の快適性を高める先進技術を積極的に取り入れ、他のホテルとの差別化をはかってきました。このコンラッド・ヒルトンのスタンスは現在のヒルトンブランドにもしっかり継承されています。ヒルトンが具体的に、過去そして現在、どのような先進技術を取り入れてきたのかを振り返ってみます。

<1920~1940年代>エアコンやテレビをいち早く導入

1925年、ヒルトンの名をはじめて冠した「ダラス・ヒルトン」は、全客室を西日が当たらないよう設計。エレベーターやゲストが利用しない施設などを西側にレイアウトするという、斬新な発想でした。当時はまだエアコンがなかったため、レイアウトの工夫で快適性を高めようとしたのです。

その2年後の1927年、ロビーにエアコンを設置したホテルをテキサス州にオープンします。当時、エアコンのあるホテルは画期的だったのです。その後も、1940年代には、ニューヨークのルースベルト・ホテルに世界ではじめて客室にテレビを設置しています。ゲストの快適性を高めるために先進技術を取り入れていく。そんなコンラッド・ヒルトンの姿勢は創業期から明確でした。

<1950~1960年代>画期的な予約センターを実現

ヒルトンが競合他社に先駆けて採用した先進技術は、形のあるものだけではありませんでした。新しいシステムも業界に先駆けて積極的に開発してきたのです。

1955年には、ヒルトン初の予約センター「HILCRON」を開設。当時は電話、電報、テレタイプなど、さまざまな連絡手段が混在していた時期です。「HILCRON」では、これらのどの手段を選択しても、ヒルトンホテルにスムーズに予約を入れられるようにしたのです。

その3~4年後には、最高の旅行とエンターテインメント体験を叶えるための一流クレジットカード「ヒルトン・カルテブランシェ」をリリース。現在では当たり前になっているエアポート・ホテルの先駆けとなる「ヒルトン・サンフランシスコ・エアポート」もオープンさせています。

1960年には、女性の宿泊にフォーカスしたホテル「レディ・ヒルトン」を開設。一部のホテルで女性専用フロア、女性専用客室、特別アメニティなどを用意しました。次々に新しい試みにチャレンジをすることで、競合他社に対して優位なポジションを築くのがヒルトン流といえます。

<近年>デジタルキーやデジタル予約の採用

2010年代以降のヒルトンは、同社がテーマとして掲げてきた「最高の顧客体験」と「デジタルツール」の融合を目指す姿勢が鮮明です。

いまやDX(デジタル・トランス・フォーメーション-デジタルによる変革)があらゆる業態で進んでいます。ホテル業界でのDXをいち早く進めてきたブランドの1つがヒルトンといえるでしょう。彼らは業界に先駆けて「デジタルキー」を採用。顧客のスマートフォン・アプリでチェックインや部屋への入退室を可能にしました。

富裕層が数多く宿泊するヒルトンでは、デジタルキーのセキュリティに問題があればブランドの信用性を大きく損なうリスクがあります。そのため、ヒルトンでは長い期間と莫大な予算をかけてデジタルキーを開発してきました。

併せて、ヒルトンが提供するスマホアプリでは、客室内のライティング、空調、テレビなども自在にコントロールできます。このようなスマホアプリと客室機能を連携させるコネクテッド・ルームはヒルトンがはじめて採用したものだと同社では発表しています。

会員プログラムのヒルトンオーナーズに加入すれば、モバイルアプリで前日チェックインが可能。顧客は宿泊するフロアや客室をアプリ上で選べます。当日は、フロントでのチェックインをせずに客室に直行することが可能になります。

このようなDXの実現は、たとえばフロントでのチェックインもないため、一見すると顧客と距離が離れてしまうリスクもあります。しかし彼らの考え方は真逆です。アメリカのニュース専門チャンネルCNBCの取材に対してヒルトン幹部は、スタッフのルーティンワークを減らすことできめ細かい案内や旅行の相談にのれると語っています。

この他、現在世界中で食されているブラウニーやピニャコラーダといったメニューはヒルトンのホテルが発祥とされています。

日本では2000年代以降にヒルトンブランドのホテルが急増

グローバルで見ると、ヒルトンは1919年の創業以来、めざましい急成長を遂げてきました。しかし、日本国内では1980年代半ばにさしかかるまでヒルトン・グループのホテルは「東京ヒルトン(現:ヒルトン東京)」だけでした。しかし、最近は全国各地にヒルトンブランドのホテルが次々に建てられています。

東京ヒルトンがはじめて登場したのは、東京オリンピック前年の1963年です。政財界の要人が集う東京の永田町に誕生。日本の高級ホテルの代表として、広く認知されました。このホテルは1984年に永田町から新宿に移転。現在は「ヒルトン東京」として、国内外の最上級サービスを求める顧客から愛され続けています。

ヒルトン東京は、日本のホテルサービスに多大な影響を与えています。1963年の開業時には、日本初のソムリエがこのホテルに配置されました。また新宿への移転時には、こちらもいまでは当たり前となっているデザートビュッフェがヒルトン東京から広がりました。

日本で二番目のヒルトンホテルが生まれたのは、1986年開業の「大阪ヒルトンインターナショナル(現:ヒルトン大阪)」。その数年後には、「東京ベイヒルトンインターナショナル(現:ヒルトン東京ベイ)」「名古屋ヒルトンインターナショナル(現:ヒルトン名古屋)」も開業しています。

2000年代に入ると、ヒルトンブランドのホテルが一気に増加。首都圏では、「ヒルトン成田」「コンラッド東京」「ヒルトン東京お台場」などが誕生。加えて、リゾート地での開業もこのあたりからはじまっています。とくに沖縄は数が多く、「ヒルトン沖縄北谷リゾート」「ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城」「ダブルツリーbyヒルトン沖縄北谷リゾート」などが運営されています。

2020年代もいくつかのヒルトンブランドのホテル開業が日本で予定されています。ヒルトンブランドは日本人にとってさらに身近な存在になっていくことでしょう。

ヒルトン家はどのようにして一大ホテルチェーンを築いたのか

ここから先は、ヒルトン家のキーマンである創業者のコンラッド・ヒルトンがいかにして巨大ホテルチェーンを築いてきたかを見ていきます。コンラッドは一代でヒルトンホテルを世界有数のホテルチェーンにまで成長させました。彼の自信の表れは、生前に幹部に語っていたこんな一言に集約されています。「そこにヒルトンホテルを建てれば、人はやってくる」。

常識的には、人がたくさん集まる場所にホテルを建てる、という発想でしょう。コンラッドは逆に、ヒルトンホテルがそこにあれば人が集まり、そのエリアが活気づくという発想でした。そこからは約半世紀をかけてヒルトンブランドをつくってきた彼の絶対的な自信が読み取れます。

創業者がホテル事業を選んだのは“たまたま”だった

ただ、後にホテル王となったコンラッドの人生の軌跡をたどると、意外にも30代になるまでの彼はホテルの世界と無縁でした。コンラッドは1887年、ニューメキシコ州生まれ。もともと第1次世界大戦に参戦した軍人で退役後、銀行を買収して銀行家になろうと考えていたようです。しかし1919年、たまたま出会ったテキサス州シスコのホテル「ザ・モブリー」を購入。その後、数年にわたって、近隣のホテルを数件買収してホテル事業の足がかりを固めました。

ここで注目したいのはコンラッドがホテル業を始めたのは、戦略や深謀遠慮があったわけでなく、たまたまの偶然だったということです。彼に限らず、 成功者には「たまたまその選択をした」というシーンが数多く見られます。ビジネスの成功においては戦略も重要ですが、偶然の流れを感じ取る感性も重要なのかもしれません。

もう1つ見逃せないのは、コンラッドが創業期にすでに存在するホテルを次々に買収したことです。探した土地にホテルを建ててゼロから宣伝を行うという選択を彼がとっていたら、事業を軌道に乗せるまでにそれなりの期間を要したでしょう。ホテル買収を繰り返すことで彼はこの期間を大きく短縮できたと考えられます。

世界恐慌の逆境を乗り越えた1930年代

1920年代に入ってからコンラッドは、単にホテルを買収するだけでなく、ハイクラスのホテルを手がけるようになります。1925年には、ヒルトンの名を冠したはじめてのホテル「ダラス・ヒルトン」をオープン。さらに1927年には前出のロビーにエアコンを設置した初のホテルをテキサス州にオープンさせます。

創業以来、ここまで順調にホテル事業を拡大させてきたコンラッドですが、1930年代に大きな壁につきあたります。世界恐慌によって、ヒルトンのホテル業も大打撃を受けたのです。ヒルトンの100周年を記念した公式サイトの年表を見ても、1930年代のトピックスが丸々抜けています。この時期のコンラッドは、事業を拡大するよりも事業の立て直しに必死だったようです。

ただこの苦しみの1930年代を切り抜けたことで、1940年代以降のさらなるヒルトンの発展が実現したのです。

高級ホテルを次々買収、株式上場を果たした1940年代

世界不況による逆境を脱した1940年代以降のヒルトンは1943年、ニューヨークの「ルーズベルト・ホテル」と「プラザ・ホテル」の買収を皮切りに、輝きに満ちた展開を見せます。質(グレードの高さ)と量(ホテル数)で他のホテルを圧倒し、世界を代表するホテル・ブランドへの道を一気に駆け上がりました。

1946年には、ヒルトン・ホテルズ・コーポレーションを設立。ニューヨーク証券取引所での上場を果たし、ホテルブランドの信用力を高めるとともに、コンラッド自身も巨万の富を得ました。

さらに1949年、アメリカを代表する高級ホテルとして知られていたニューヨークの「ウォルドーフ・アストリア」を買収。高級ホテル=ヒルトンのイメージを世に広げます。ちなみに、このホテルの名は現在、「ウォルドーフ・アストリア・ホテル&リゾート」の名でヒルトンの最上級クラスの数々のホテルに使われています。

その後、ヒルトンはプエルトリコに進出し、「カリベ・ヒルトン」をオープン。グローバル展開にも着手し、アメリカのヒルトンから世界のヒルトンへ躍進したのです。また、1950年代には「タットラー・ホテル」を1億1,100万ドルで買収。ヒルトンの公式サイトによると、これは当時、史上最大の不動産取引だったようです。豊富な資金力で、最高の立地の最高のホテルを次々に手に入れていく。そんなヒルトンの圧倒的な力を象徴するトピックといえるでしょう。

高級ホテルだけでなくフレンドリーなホテルにも進出

1960年代になると、ヒルトンの経営体制においてコンラッドの息子、バロン・ヒルトンの存在感が高まってきます。グローバル展開をするヒルトン・インターナショナルの社長には創業者のコンラッド・ヒルトン、アメリカ国内で事業を展開するヒルトンホテルズ・コーポレーションの社長にはバロン・ヒルトンが就任するという二人体制になりました。

企業規模が巨大になっても、ヒルトンのチャレンジ精神は衰えることがありませんでした。それまで高級ホテルに軸足を置いてきたヒルトンでしたが、1969年にフレンドリーなもてなしをテーマにした「ダブルツリー・バイ・ヒルトン」をアリゾナ州にオープン。チェックイン時にダブルツリー特製のチョコチップをプレゼントしてくれるホテルとして現在、日本を含める世界中で愛されています。1970年にはアメリカ国内のカジノ産業にも参入するなど常に新たな展開を模索してきました。

ヒルトンは創業者が亡くなった後も成長を持続

1979年には、ヒルトンとって大きな出来事が起こります。創業者のコンラッドが91歳で亡くなったのです。しかし創業者の亡き後もヒルトンは、そのブランド力やそれまで培ったノウハウをもとに、数多くの新しいカテゴリのホテルブランドを次々に立ち上げていきます。これはニーズの細分化の進む現代の嗜好と合致するものだったといえるでしょう。

現在、ヒルトンのホテルブランドは18ブランドを数えるまでになりました(2020年7月末現在)。いずれのホテルブランドも、最高の顧客体験、おもてなしというヒルトンが大切にしてきた価値を守りつつも、個々のコンセプトを追求しています。

ホテルブランドの一例としては、1982年に立ち上げられた「コンラッド・ホテル」は、世界各地のビジネスや観光の拠点において、ラグジュアリーホテルを展開しています。また、「ハンプトン・ホテル」は、顧客がサービスに満足しなければ料金はもらわないという保証制度を付けた初のホテルです。

世界有数の働きやすい会社として知られるヒルトン

二代目のバロン・ヒルトンは、創業者が積み上げてきた資産をもとにヒルトンブランドと世界のホテルネットワークを着実に広げました。彼も長寿をまっとうし、2019年、父親と同じ91歳で亡くなりました。ちなみに、世界中のメディアをにぎわせるセレブ姉妹、タレントのパリスと、モデルのニッキーはこのバロン・ヒルトンの孫にあたります。なお、 現在のヒルトンCEOには、クリストファー・ナセッタが就任しています。

現在のヒルトンが誇れるのはその規模だけではありません。チームメンバー(従業員)の自主性を重んじた「働きがいのあるグローバル企業」として知られています。その背景にあるのは「創業者であるコンラッド・ヒルトンの起業家精神を継承」であると、ヒルトンでは解説しています。

ヒルトンが自己満足ではなく、真の従業員の働きがいのある会社になっている証明として、フォーチュン誌とGreat Place to Workによる「米国で最も働きがいのある職場1位」「世界で最も働きがいのある職場2位」にそれぞれ選出されています。

ヒルトンブランドの新たな挑戦「ヒルトン・エフェクト財団」

ヒルトンブランドの最近の試みとしては、創業100周年を機に2019年、「ヒルトン・エフェクト財団(The Hilton Effect Foundation)」を立ち上げました。同財団はヒルトンが事業展開するエリアの組織や人を支援の対象とし、「安心して旅行できる、よりよい世界をつくりあげること」を目的に掲げています。すでに設立直後、災害の復興支援や水資源保護をしている15の団体への助成を発表しています。

創業者のコンラッド・ヒルトンから受け継いだ理念である「イノベーション(革新)」「パーパス(目的)」「成長」を胸に、彼らがどのように新たな歴史を刻んでいくのかに注目しましょう。

 


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