(本記事は、髙橋 秀彰氏の著書『
「一見さんお断り」の勝ち残り経営』ぱる出版の中から一部を抜粋・編集しています)
日本的経営の魅力
再び株式会社は欧米発
西洋発祥の株式会社という仕組みは、会社は元手を出した株主のものであるという考え方で制度設計がなされています。
これには歴史的な経緯があり、一六世紀から一七世紀の大航海時代に、ヨーロッパで複数の人がおカネを出し合い、それを元手にして冒険家のような人を雇ってアフリカ・アジア・アメリカ大陸まで航海させて交易をし、船がヨーロッパに戻った時点で交易で得た物を売却して清算・配当をしていたような形態が株式会社の起源となっています。そのうちに、一航海ごとに清算するのではなく、一六〇二年に設立されたオランダ東インド会社のように、継続的にこのような商売を続けるような形態となり、だんだんと今の株式会社のような仕組みになりました。
株式会社にはこのような起源がありますから、会社は株主のものという趣旨の制度になります。しかし日本ではなかなかこのような考え方は馴染みません。
日本では、一族とか個人が単独でリスクを背負い、リスクを背負った者が主(あるじ)として直接商売をしてきたようなイメージがあります。ヨーロッパとは歴史的な経緯が違いますから、そこに大航海時代の商売の形態を起源とする株式会社という仕組みを輸入しても、感覚的に馴染まないのは当然といえます。
今でも、大多数の日本人にとって、会社は株主のものであるという考え方はピンとこないのではないでしょうか。
会社は誰のものか
法的な話しは別として、日本での現実的な感覚としては、会社は誰のものでしょうか。
創業者のオーナー社長であれば「会社はワシのもの」と言うかもしれません。
しかし、長期間存続している会社の場合、経営者に会社は誰のものかと聞くと、だいたい「従業員のもの」か「お客様のもの」という答えが返ってきます。「株主のもの」という答えは皆無です。
日本的な経営の根底には、この「会社は従業員のもの」「会社はお客様のもの」という経営者の考え方があるように感じます。日本的な経営とは何かと問われると明確に言葉にできないのですが、少なくともアメリカ風の短期的な利益追求最優先の方針は日本的な経営とは考えられません。強いて言えば長期的な視点、かつ、三方よしの近江商人的な考え方が日本的な経営スタイルだと感じています。
京都花街のお茶屋の場合、我々顧客が感じることは、お茶屋はお母さんや芸舞妓や顧客のものではなく、もはや日本のものだということです。
西洋発祥の株式会社制度の場合は、法規制に抵触しないかぎりは株主総会の決議で何でもできます。解散・清算やM&Aによる身売り等々、株主総会による決議で自由自在ですし、実際にアメリカ合衆国ではRJRナビスコのような、会社をバラバラにして身売りしてしまった事例もあります。しかし、会社が従業員や顧客や日本のものだと考えると、もうオーナー経営者といえども己の一存で勝手なことはできなくなります。このような考え方の違いが日本的な経営というものを形成していると感じています。
実は個性的でトップダウン
日本の組織は、没個性で同業他社の動向を伺うような事なかれ主義で、稟議書には多くの押印が並ぶ等の、責任の所在が不明確なイメージがありますが、実はそのような組織は役所と大企業だけです。
長期に存続している、または存続するであろう日本の企業の多くは、実は経営者も従業員も個性的で自立的に物事を考えていて、しかも意外とトップダウン型の指揮命令系統となっており、責任の所在も明確になっています。
ここでも京都花街のお茶屋は、そのような日本的な組織の特色が強く出た存在となっています。組織形態としては本書で述べたように一般企業と異なる点も多いのですが、お母さんや、姉として引いてくれた姉さんや、大きな姉さん(大昔にお見世出しした芸妓)からのトップダウン型の指揮命令系統で全体が動きますし、実は芸舞妓を一人一人個別に知ってみると、それぞれにかなりの個性があります。
京都花街では数多くのしきたりや作法等の不文律があり、稽古すべきことも多いのですが、それを全て習得し守ったうえで、一つ一つの宴会の目的や顧客が違う中で、全て個別に対応して芸舞妓の伎芸や仕出し料理を始めとした総合的なおもてなしによって宴会を成功させるのがお茶屋の仕事です。
よって、仕事を完遂するためには、お母さんや芸舞妓がそれぞれ自立的に考えながら、なおかつ、チームとして動かないといけません。誰かが粗相をした時の責任の所在も明確です。
それは、標準化してマニュアルを作成し、金太郎飴のように誰もが同じ対応をすることによって完遂できるような簡単な仕事ではありません。芸舞妓やお母さんや裏方を含めたおもてなしをするメンバー全員が、宴会中は当然として、宴会前から宴会後までを考えて動かないといけません。
「京都花街のお茶屋のおもてなし」と、なんとなくステレオタイプのイメージが確立していますが、実は一つ一つの宴会ごとにそれぞれのメンバーが個別に自立的に考えながらチームとして動きつつ、強いトップダウン型の指揮命令系統となっているのです。
個別の宴会での対応もそうですが、それはお茶屋としての経営の意思決定も同様で、お母さんによるトップダウン型の意思決定となっています。
徹底的に「やるべきこと」を
日本的経営という以前に、日本的な発想として「良い仕事」や「馴染み客のため」というものが儲けよりも優先されるということが、特徴的なこととして思い浮かびます。特に職人的な仕事でよく感じることです。
西洋発祥の株式会社は、法的には「営利社団法人」とされ、利益を得るために存在しているものとされています。株式会社にかぎらず、商売をしている事業体である以上は、利益を得るために存在していると考えることは間違いではないのですが、日本の事業体では、現実には儲けよりも優先される、または優先したいものが存在します。
ただし、その「儲けよりも優先したいもの」を優先するためには、事業体が維持存続できるだけの利益が確保されている必要があります。衣食足りて礼節を知る、です。
私の事務所のクライアントの社長の言葉で「客のためになることをしないと、結局は長続きしない」という言葉があります。自社の利益を優先させていると結局は存続できなくなるという体験からの言葉です。
その会社は、ある特定の業種に特化した人材派遣の会社で、かつて、同業他社の多くが社会保険関連の法規制を順守していない中で自社が率先垂範的に法の完全順守を実行したということがありました。その結果、派遣料を値上げせざるをえず、顧客が離れ、大きく売上が落ちました。また、取引を継続してくれた顧客には値上げによる負担を強いることになりました。
その後、マイナンバーの施行等により、同業他社も追随して法規制を順守せざるをえなくなり、次々と値上げをしてきたので、結局は他社も同条件となり、業績は値上げ前よりも良くなりました。
この事例の場合は、職人的な仕事とは違いますが、儲けよりも法規制の順守を優先させた事例です。合法な派遣会社と取引することが顧客のためになると判断し、自社の業績が落ちることは覚悟のうえで法の順守を優先させたのです。値上げをすることが顧客のためという場合もあるのです。
京都花街のお茶屋での一見さんお断りという不文律も、儲けよりも個別の宴会の成功による顧客の満足を優先させるためのものです。
京都花街のお茶屋にも、人材派遣業という新しい業種にも、同じように、儲けよりも自社がなすべきことを優先するという考え方が流れている点が、日本的な経営の考え方の魅力だと感じます。
カネのためではない、けど、カネは要る
最後にもう一つ、私の事務所のクライアントの会長職にある人の言葉を紹介します。その人は関西の人ですので、関西の言葉のまま紹介します。
「カネのためやない、けど、カネは要る」
カネのためやない、という言葉が、カネは要るという言葉よりも前に来ているところがポイントです。商売をしていても、それはカネのためではないのです。しかし衣食住や商売の継続のためにカネは要ります。商売の継続とは、顧客や従業員に満足を提供し続ける事です。そのためにカネは要ります。だから企業は儲けなければいけません。ただし、言葉の順番を間違えてはいけません。
なぜ、お茶屋のお母さんは、お茶屋のお母さんになったのでしょうか。何を思って京都花街の世界に入ったのでしょうか。それはやはり、一見さんお断りによる個別受注生産としての宴会の成功によって顧客に満足を提供するためであり、そのことを、芸舞妓の伎芸を含めた総合芸術としてのお座敷での宴会をプロデュースするという本業によって達成するためでしょう。
ですから京都花街のお茶屋は、長い歴史の中で数々のターニングポイントに遭遇したとき、目先の利益確保のために一見客歓迎の直営をするような手っ取り早い方向への方針転換をせず、一見さんお断りの不文律を継続することによって高品質を維持し、同時にゆっくりと顧客を育てるという選択をしたのです。
そこには、ただ利益追求のために商売をしているのではく、こういうお茶屋にしたい、こういうお茶屋にして社会の役に立たなければいけないという、自らと自らの職業を世に問う志を感じます。
京都花街のお茶屋は、顧客として通うだけでも、「カネのためではない、けど、カネは要る」という日本的な発想の中にある儲けに優先するものの存在をダイレクトに感じることができる場所です。お茶屋のお母さんにも、芸舞妓にも、料理屋にも、しつらえや衣装等々の職人技にもそれを感じることができます。総合芸術にまで昇華されたおもてなしと共に、日本的な経営の発想も色濃く残され、今の日本の経営者にとって大いに参考になるものが伝え残されているのが京都花街だといえます。
髙橋 秀彰(たかはし ひであき)
髙橋秀彰綜合会計士事務所 代表。公認会計士・税理士・宅地建物取引士。昭和40年生まれ、愛知県出身。立命館大学理工学部卒。創業当初の資金状況の苦しい中でも「一見さんお断り経営」を貫き、公認会計士であるにもかかわらず経済合理性に反するリスクを背負った経営判断を行ったことから一目置かれる信用と実績を築く。とくに他の会計事務所では手に負えない高度な案件などを得意としており、数多くの相続対策や非上場企業の株主構成の再構築、資金繰り改善の実績を持つ。また、京都花街のお茶屋では稀有な顧客として知られ、京都花街の不文律や裏事情にまで精通している。
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