(本記事は、髙橋 秀彰氏の著書『
「一見さんお断り」の勝ち残り経営』ぱる出版の中から一部を抜粋・編集しています)
はじめに
「顧客満足」を突き詰めると「一見さんお断り」に行き当たる
京都花街(きょうとかがい)のお茶屋さんで、雅(みやび)やかな舞妓(まいこ)の姿や、お座敷遊びと並んで有名なのが「一見(いちげん)さんお断り」というルールです。さらに、あまり知られていませんが「お茶屋は街に一つ」というルールがあります。しかもそれらは、どこにも明文化されていない不文律です。詳細は本文で後述しますが、この「一見さんお断り」というルールは一般に京都花街の悪口として真っ先に出てくるほど有名です。不思議なことに、そんなネガティブイメージを振り撒くようなルールを頑(かたく)なに守り続けているにもかかわらず三五〇年間もの永きにわたり存続し、しかも近年順調に経済規模が拡大しているのが京都花街のお茶屋です。
この「一見さんお断り」「お茶屋は街に一つ」というルールは、顧客側からはハードルが高い閉鎖的で排他的なマイナスイメージのルールですが、お茶屋側からも売上や利益の拡大という観点からは完全にマイナスとなるルールです。
私も、今でこそ縁あって出入りしていますが、京都花街のお茶屋はメディアを通した画面や紙面の向こう側の、自分とは一生縁のない世界のものだと考えていました。
ではなぜこの「一見さんお断り」「お茶屋は街に一つ」というルールが確立され維持されているのか。諸説ありますが、突き詰めて考えると顧客満足のために必要であったということに行き当たります。
お茶屋の本業は、「芸妓(げいこ)、舞妓、座敷、料理等によって個々の宴会を成功(宴会の目的を達成)させること」です。
ですから、お茶屋はそれぞれの宴会に合わせて顧客を満足させることを最優先に考えて宴会の準備をします。そのためには、充分に顧客の嗜好や宴会の趣旨を理解して芸舞妓を手配したり、料理を選定したりしますし、お座敷の掛け軸や花や調度品もその宴会や季節に合わせて整え、宴会の上座下座の人数に合わせて座席(座布団等)も用意し、ハードとしてもソフトとしても「お座敷」を準備します。準備だけでなく、宴会の最中に前例がないような不測の事態が起こったとしても瞬時にその場で対応し、全力で宴会の成功を実現させようとします。
ところが一見の顧客だと、顧客に合わせた宴会を準備するための前提となる顧客の嗜好その他の情報がないため、個別の顧客に合わせた用意も咄嗟の現場対応もできず、宴会の成功という目的を達成できないのです。
お茶屋に限らず、一つ一つの宴会には商談や懇親や慰労等々の個別の目的があり、年齢層も人数も、その宴会を開くまでに至る経緯も千差万別です。お茶屋はそのような宴会の開催を完全なオーダーメイドの個別受注生産として対応しています。一つ一つの仕様が異なる個別受注生産ですから、目的を確実に達成するためには事前の顧客情報の集積が必要となります。そのために一見さんお断りというルールが必要になるのです。つまり、表面的には閉鎖的で排他的なルールに見える一見さんお断りですが、よく考えてみると、顧客満足を徹底的に追求した結果当然に行き着く合理的なルールであることが分かります。
しかも、お茶屋は宴会を成功させるために顧客の全ての要求を受け入れるわけではありません。顧客にもお座敷での作法とか、花街のしきたりとか、芸事を見る目とかの学習すべき点は多々あります。お茶屋にはそのような面での新しい顧客を育成するという役目もあります。
そのようにして顧客の育成と、顧客の要求を充たし続けた結果、お茶屋は上質なリピート客を確保し、さらにそのリピート客が上質な新規顧客のみを紹介するという好循環が生まれます。そして、外部要因によって大きく変動されない一定数の上質な顧客によって安定的に長期間にわたって維持存続してきたという実績が生じたのです。
そこには提供するサービスの質を低下させてまで広く一見客を取り込んで売上拡大をするような安易な発想はありません。
その考え方を一般企業に当てはめると、過去の顧客との取引が完全かつ詳細に記録されたデータベースの完備と、その情報を現在の受注に活かして目的を達成するための圧倒的な経験値とサービスラインの取り揃え、さらには、ラフな発注に対しても発注内容の細部までを察して役務提供すること等々を意味します。
これに加えて、例えば一般企業で一見客を受け入れるようなケースにこの考え方を延長した場合、新規顧客との取引を開始する時は、その新規顧客の嗜好やニーズや発注の背景や、自社の提供する製品や商品がその新規顧客のニーズとマッチするか否か等々の充分な情報を把握し検討してからでないと受注及び役務提供をしないということになります。
仮にその一般企業が量産品を供給するメーカーであったとしても、その得意先となるターゲット層のユーザーを、まるで馴染み客であるかのごとく事前情報を集積して、まるで個別受注生産であるかのごとく量産品を供給するという考え方になります。
ここでいう「考え方」こそが世間で言われている「経営方針」というものに該当します。この経営方針(考え方)がハッキリと明確になっていてしかも徹底されていることが、例えば一見さんお断りというルールの確立や、さらに、企業の構成員一人一人の行動原理となり、企業を長期的に維持存続させる原動力となるのです。
私が今まで四半世紀にわたって公認会計士・税理士として関与してきた企業を見てみると、長期にわたって好調な業績を維持している企業にはいくつかの共通点があります。そのうちの強力な一要因として、この「考え方」「経営方針」が健全かつ明確で、企業の構成員一人一人の行動原理として機能し、目先の業績の浮沈に浮足立って考え方を変えることなく徹底しているという点があげられます。
私は京都花街のお茶屋の一顧客であり、公認会計士・税理士の業務としての関与はしておりませんが、このような経営的な観点から、京都花街のお茶屋を好調な業績を維持するエッセンスが凝縮された事例として考え、見てきました。
京都花街のお茶屋もれっきとした現代の現役の日本企業なのです。私は自社の経営や業績に悩んでいる経営者の方々を見る度に、京都花街のお茶屋のような明確な考え方があり、それが行動原理として機能するまでに徹底しているのかどうか、目先の業績の好不調によって根本の考え方を変えていないのかどうか、京都花街のお茶屋を経営の事例として世に伝えたいと考えてきました。
お茶屋は顧客の宴会(お座敷)を成功、つまり宴会の目的を達成させるのが本業ですから、個々の宴会の成功がお茶屋にとっての顧客満足となります。その顧客満足を達成して実際に三五〇年間も維持存続してきたお茶屋が、そのためにどのような商売の形態になってきたのか。三五〇年間の間には考え方を変えなければ生き残れない程の存続の危機もあったでしょう。その時、どのようにその危機に対応したのでしょうか。それは経営方針、考え方の問題であり、三五〇年間も維持存続してきたその考え方を知ることは、顧客満足を謳う現代のあらゆる業種の企業にとって見習うべき大きなヒントを知ることになると考えています。
一見さんお断りは個別受注生産
一見さんお断りとは
一見さんお断りというのは、あるお茶屋の顧客になるためには、そのお茶屋の既存の正規顧客の紹介がなければ自らは新規の正規顧客になることができない、つまり、自らの名前で出入りすることができないという一種の会員制システムです。ここでいう正規顧客とは、自らの名前で宴会の予約ができる顧客という意味であり、言い方を変えると、お茶屋にとって請求口座がある顧客という意味です。
この正規顧客という呼称はここで便宜的に使用しているだけであって、お茶屋での一般的な言い方ではありません。
さらに、紹介者に紹介されて一度くらいお茶屋で遊んだ程度ではこの一見さんお断りの壁を突破したことにはなりません。何度か紹介者経由でビジターとしてお茶屋に出入りし、「お母さん」と呼ばれるお茶屋の女将さんの判断によってそのお茶屋の正規顧客になれるというルールです。
そこでのお茶屋のお母さんの判断基準は明文化されておらず、お母さんの頭の中だけにあります。
そもそも、私の出入りしているお茶屋のホームページには住所も電話番号も書かれていません。最初に誰か紹介者にお茶屋に連れて行ってもらい、お茶屋のお母さんから名刺をもらわないかぎりお茶屋に連絡することすらできないのです。
お母さんの頭の中にある「一見さんでなくなる基準」とはどのようなものでしょうか。それを面と向かって聞くことは無粋ですし、聞いても明文化できるような明確な回答は返ってこないと思います。
ただしヒントはあります。なぜ一見さんお断りというルールがあるのかを考えてみるとその基準が見えてきます。
一見さんお断りの一般的理由
一見さんお断りというルールは必要に応じて自然発生的に確立されたルールだと推察できますが、一般的にいくつかの理由が言われています。
第一に、一見客だとその顧客の嗜好や宴会の目的が把握できず、顧客満足を達成できないことが挙げられます。
お茶屋の目的は「芸舞妓、座敷、料理等によって個々の宴会を成功(宴会の目的を達成)させること」です。
大切な顧客が主催する宴会を成功させることが本業ですから、事前の充分な情報収集と万全の準備をします。芸舞妓の踊りや三味線等の厳しい毎日の稽古もそのような準備のうちの一つですが、それに加えて個々の宴会ごとの個別の要因にも対応して宴会を成功させることは、初めて接する一見客ではできないということが一見さんお断りの理由となります。
その他の理由として、お茶屋の料金清算は掛け払い清算方式となっていることが挙げられます。一見の顧客に対しては貸し倒れリスクが大きすぎるため掛け払いによる料金清算はできません。
ここで、なぜ掛け払い清算方式が採用されているのかというと、宴会のホスト役である正規顧客が自ら招いた招待客の前で現金やクレジットカードでの支払いをする無粋な姿を見せなくていいようにという配慮が大きな要因です。これも顧客満足を追求した結果と言えます。
さらに、この配慮はお茶屋の外にまで及んでいて、お茶屋経由で予約した飲食店や、歌舞伎や踊りの会の観劇チケット、お茶屋からの帰りのタクシー代まで、全てお茶屋が立替払いをして後日の掛け払い清算にまわされます。これは実に徹底した宴会の成功という目的の追求の結果ですし、実務的にも当日の宴会お開きの時点では全体の総料金が分からないので、掛け払いによる後日の清算とするしかないのです。
他によく言われる一見さんお断りの理由としては、お茶屋が女所帯であることが挙げられます。
顧客が馴染みになるとお茶屋に着いて入る時のお出迎えの言葉は「おこしやす」「おいでやす」から「お帰りやす」に変わります。それはつまり、馴染みの顧客になれば好みや贔屓等をちゃんと把握しているので自宅のように気兼ねなくゆっくりくつろいで下さい、自宅同然ですから「お帰りやす」という挨拶になるという意味合いです。
その自宅のようにくつろいでもらうお茶屋で顧客をもてなすのは芸妓や舞妓やお母さんという女性ばかりです。女所帯なのに自宅のように使ってもらうわけですから、通りすがりの一見客をいきなり招き入れることは怖くてできないことになります。
ですから、他の顧客に迷惑を掛けないことは当然として、お茶屋にも迷惑をかけないような顧客に出入りしてほしいので、必然的に一見さんお断りとなるのです。
目的達成のための思い切り
このように一見さんお断りの理由を考えると、その主な目的は顧客満足であることが分かります。それも徹底的に追求した結果であることが分かります。
お茶屋の本業は「芸舞妓、座敷、料理等によって個々の宴会を成功(宴会の目的を達成)させること」であり、お茶屋では宴会の成功を達成するために完全な個別受注生産という方式を採用しているということです。
これは長年の間に自然発生的、自然淘汰的に形作られてきた業態でしょうが、結果的に、桁違いに多いであろう一見客による受注を思い切りよく諦めたということです。
一過性かもしれないが飛躍的に収益や利益が拡大するであろう大きなマーケットは対象とせず、市場規模は小さくても長期間コンスタントに取引が継続する特定の得意先との取引で徹底的に個別に要求を充たしてゆくという方針です。
このように、明確に方向性を定め徹底してゆく、という方針決定はつまり経営の問題であり、現代の一般企業にもそのまま必要とされる経営姿勢です。
誤解の無いように書きますと、ここでの話しは量産と個別受注のどちらが良いのかという話しではなく、方針を決めて徹底的に追及するというスタンスの話しです。
京都のお茶屋の場合は一見さんお断り、すなわち、馴染み客を対象としたオーダーメイドによる個別受注生産の宴会の成功を目的とし、それ以外は潔く切り捨てています。これを一般の事業会社に当てはめると、受注生産のみに限定して生産または役務提供をし、量産品から個別受注生産の特注品までのフルラインの品揃えはしないということになります。
企業を経営していると、どうしても、量産系と受注生産系の両方のニーズに対応したくなります。量産と受注生産という事例でなくとも、例えば広くユーザーの多い大きな市場とニッチ市場の両方を狙いたくなります。そして中途半端に両方を狙った場合、ほぼ失敗します。どちらの方向に向かうかを決め、その方向性を徹底的に追求する姿勢が企業の生き残りのポイントとなることが多いです。
ただしこれは、言うは易く行うは難しで、実践している企業は非常に少ないです。
目の前の受注に対応すればすぐに売上が増加するのですからどうしても目先の全ての引き合いに対応したくなります。お茶屋の事例に当てはめると、一見さんOKにして、最大公約数的なお座敷宴会の標準プランを用意し、量産品として広く売り出せば即座に爆発的に売上や利益は増加するけど、それだけはしないということになります。
そして、もしもそのように一見さんOKとして目先の業績を伸ばした場合、長期的にはお茶屋は衰退し、存続の危機が訪れるでしょう。
目の前の儲けを追わず、自ら決めた方針に従って愚直に事業を営み続けることは非常に難しいことなのです。そして当然、もしも自ら決めた方針が間違っていた場合は顧客から支持されず、経営判断の誤りとして倒産する覚悟が必要です。
なお、京都花街では、売上や利益追求とは別の花街文化の発信や地域振興という意味での量産的な普及品とでも呼べるイベントはあります。これは前段で述べている量産品とは全く違う意味合いのものであり、しかも京都花街のお茶屋は決してダイレクトに主催者になることはありません。詳細は第三章で述べます。
これは余談になりますが、京都のお茶屋の場合はたまたま長期の取引先を優先する個別受注生産に特化するという方向性ですが、京都で長年維持存続している一般企業は小さな個人事業から大企業まで、その根底にも共通するものがあるように思います。
髙橋 秀彰(たかはし ひであき)
髙橋秀彰綜合会計士事務所 代表。公認会計士・税理士・宅地建物取引士。昭和40年生まれ、愛知県出身。立命館大学理工学部卒。創業当初の資金状況の苦しい中でも「一見さんお断り経営」を貫き、公認会計士であるにもかかわらず経済合理性に反するリスクを背負った経営判断を行ったことから一目置かれる信用と実績を築く。とくに他の会計事務所では手に負えない高度な案件などを得意としており、数多くの相続対策や非上場企業の株主構成の再構築、資金繰り改善の実績を持つ。また、京都花街のお茶屋では稀有な顧客として知られ、京都花街の不文律や裏事情にまで精通している。
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